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最高裁判所第一小法廷 昭和60年(行ツ)163号 判決

東京都港区赤坂三丁目九番一号

上告人

紀陽物産株式会社

右代表者代表取締役

松田吉男

右訴訟代理人弁護士

友光健七

川人博

東京都港区西麻布三丁目三番五号

被上告人

麻布税務署長

北島孝康

右指定代理人

亀谷和男

右当事者間の東京高等裁判所昭和五七年(行コ)第二一五号法人税額等更正処分取消請求事件について、同裁判所が昭和六〇年六月二六日言い渡した判決に対し、上告人から一部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人友光健七、同川人博の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、いずれも採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤哲郎 裁判官 谷口正孝 裁判官 高島益郎 裁判官 大内恒夫)

(昭和六〇年(行ツ)第一六三号 上告人 紀陽物産株式会社)

上告代理人友光健七、同川人博の上告理由

第一 原判決は、以下の各点で明らかなとおり、判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則ないし採証法則の適用の誤り、又は、審理不屈、理由不備の違法がある。なお、原二審判決は、原二審において控訴人の主張が認められたラブラブ関係の部分を除き、「原判決の認定判断のうち」、「すべてこれを相当と認める」(原二審六丁表)としているので、原審の誤りについては、原一審判決に対し、以下のとおり主張する(したがつて、以下、原判決とは、原一審判決をさす。)

第二 建物借地権譲渡益計上洩れについて

一 原判決の構造と問題点

1 原判決は、この点について極めて恣意的な採証法則を採用するとともに独善的な論理を構築しており、審理不尽、理由不備の誤りを犯している。

すなわち、本件の争点は、いうまでもなく、上告人が、本件借地権建物の売却により譲渡益を取得したと解されるか否かにある。この点について、〈1〉被上告人は、本件物件が、辛→上告人→京浜住宅の各売買を経由したと解釈し、〈2〉上告人は、権→(松田個人)→京浜住宅の売買があつたに過ぎず、松田個人は自己の債権担保のため本件物件の名義を上告人名義で冒用したものであり、上告人には無関係であると解すべきであると主張しているのである。したがつて本件の解釈上の争点は、本件売買が、辛→上告人の売買と解されるべきか、それとも、権→松田の譲渡担保と解されるべきか、に尽きるのである。

2 そして、右争点の判断のためには、右物件の変動について、(イ)いかなる経過の下でどのような契機によつて発生し、(ロ)誰と誰との交渉により進められ、(ハ)実体的権利の変動とその一つの外形的徴表である移転登記手続の合意がどのようになされ、(ニ)特に重要なことであるが売買の対価はいくらであると決定され、(ホ)所有権の完全な行使を妨げる担保権の抹消、占有の移転等がどのように定められたのか、等々売買契約の内容を規定する各要素が分析されたのち、その結果を総合して判断解釈されなければならない。これが右物件の変動を正しく解釈する常識的な経験則であるはずである。

3 しかるに原判決は、

〈1〉 なによりも第一に、そもそも前記のとおり総合的判断であるべき解釈方法を忘れ去り、(イ)実体的権利移転の一つの徴表に過ぎない登記だけを絶対化し、これだけを切り離して、辛→上告人の一方的な推定を行ない(原判決三、1 (一))、(ロ)本件売買に至る経過と契機、交渉過程については、十分な理由もないまま上告人の弁解として一括して切り捨て(同三、1 (二)(三))、(ハ)売買の重要な要素である占有の移転、担保権の抹消についても、強引な論理で自己の勝手な推定に整合させ(同三、1 (四)(五))、(二)売買代金については、驚くべきことに両当事者間の合意した金額がいくらであつたのか全く認定しないまま(このような売買が存在するのであろうか。)取得費の推定を行う(同三、2)、等各要素を独立分離して判断し、

〈2〉 第二に、本件売買に至る経過と契機についても、原判決摘示のとおり、証人権成沫、同松田繁、同三上、原告代表者本人の各供述、乙第二三号証、甲第八号証等の証拠により、少なくとも、(イ)本件物件は権が一三〇〇万円で妻辛の名義により買い受けたこと、(ロ)権は、右一三〇〇万円を田中某から借り入れ、その支払いを保証人である松田が行なつたため、松田に対し、一三〇〇万円の債務を負つていたこと、(ハ)権は、松田に他に八八〇万円の債務を負つていたこと、の三点については、他に右認定を覆すに足りる証拠がないのであるから前提にしなければならないにも拘らず、訴外組合への融資申込のため原告名義としたとの点、及び京浜住宅からの除却補償料、売買代金の取得者が不明であるとの点だけから、直ちに、右供述全体を否定するのは余りに乱暴な判断の飛躍であり、自己に都合の悪い証拠は一括して切り捨てるという、文字どおり採証法則を無視するものに外ならず、

〈3〉 第三に、通常の売買とは異り、売買とともに占有の移転、担保権の抹消がなされていないことは認めながら、その原因がどこにあるのか(まさに、松田の債務に対する譲渡担保だからであるが、)究明することなく、「必ずしも借地権の譲渡がなかつたものと断ずることはできない。」(同四〇丁ウラ)とか、「抵当権等の負担を附着させたまま不動産の所有権が移転することもありえないことはではない。」とか、事実にそぐわない一方的な自己の勝手に設定した誤つた推定に固執したため、はなはだ苦しい弁解(強弁)を重ね明らかな理由不備に陥つており、

〈4〉 第四に、売買契約の最も重要な要素である売買代金の認定については、恐るべきことに、当時者間でいかなる金額の合意がなされ、どういう履行がなされたかについて一顧だにされておらず、全くの審理不尽のままであり本心で辛→上告人で売買がなされたと判断していたのかすら疑問であり(原判決は、この一点でも破棄されるべき)、ただ単に形式的な取得費の推定がされているに過ぎない。

極めて重大な問題点を含んでおり、明らかな採証法則、経験則の違反、理由不備、審理不尽の違法があり、破棄は免れない。

二 売買か譲渡担保か

権利移転の背景とその必然性

1 ところで、全ての物権変動には、経済的合理性を背景としてそれをもたらすに至る経過と直接的な原因が通常はある。通常の売買の場合においては営業のためにしろ、個人的理由にしろ、売りたいと考える売主と買いたいと考える買主が、売買代金、その他の条件をめぐつて交渉を重ね、それが妥結したとき、合意が成立する。これが、私達の通常の経験則が教えるところである。

この点、本件についてはどうなのか。本件争点の素直な解明のためには、この点から素朴に出発されなければならない。

2 原判決も認定するように、関係証拠によれば、本件物件の所有者は権であつて、辛ではない。原判決は、この点をあいまいにしているが、本件物件の取得について現実に代金一、三〇〇万円を負担し、実体的権利を取得したのは権であり、辛は妻として名義を利用されたに過ぎないとの証拠はあるが、それを履すに足る証拠はないのである(したがつて、原判決もこの点だけを絞つて否定はしえていない)。これが、第一の出発点である。

次に、右権は、松田個人から、右売買代金相当金一、三〇〇万円、及び八八〇万円、合計二、一八〇万円の債務を負つていたこと、これまた、確かに「これを認めるに足りる客観的な証拠は存在しない」かもしれないが、間接的な供述は存在し、それを履すに足りる証拠はない。したがつて、第二の出発点にせざるを得ないのである。

さらに、右権は、本件建物においてパチンコ屋を営業し一定の利益をあげながら、松田に対し借金の弁済をなさず、ずるずる経過するなかで、本件京浜住宅の買収の話が出て来るのである。こうした状況が、第三の出発点なのである。

3 以上の三つの前提に立てば、各当事者は、いかなる交渉に入るだろうか。松田の立場に立てば、二、一八〇万円もの債務を持ちながら、権に対し、何らかの担保も持ち得ていない、何とか担保を確保したい、このまま、知らない間に第三者に売却されたら全く弁済が受けられない、どうするか、という点である。

一方、権の方はどうか。とりあえず、第一義的には、松田の担保設定を回避したい、しかし、あわよくば、同じ担保設定をするならその際に更に資金の借り増しをしたい、この点にあつたと推定される。

そして、この両者の異なる意図が一致するのが、「そこで、原告(真実は松田個人である。)と権は本件建物を原告名義としこれを担保として原告の名において融資を受けること」(同三七丁表)なのである。松田個人は、とりあえず自己の債務担保のため本件建物を原告名義とすること、権は、原告の名において融資を受けること、の各々の意図が奇妙に一致した結果、名義変更はされたものの、当然のことであるが融資の実行は客観的に不可能であつた。まさに、原判決の本件名義変更は「いかにも軽率かつ取引の常識に反する、不自然な行為」であるとの指摘は、松田にとつては自己の債務の担保として原告名義にするだけでよかつただけにはじめから意図したとおりであつただけに過ぎないのである。

むしろ、原判決が一方的に解釈する辛→上告人→京浜住宅の売買の方が、はるかに「取引の常識に反する不自然な行為」である。事実、原判決には、有利な収用を目前にして、辛(あるいは権)が、何故、わざわざ、上告人に本件建物を売却しなければならないのか、全く説明されておらず、また逆に、上告人が、何故こんな買い上げに応じたのかも全く論及されていない。こんな常識に反する売買はおよそ考えられず全く架空の売買といわなければならない。

4 以上の経過を鑑みれば、本件物権変動は、権に対し、二一八〇万円もの債権を持つていた松田が、第三者による本件物件の買い上げという局面の下で、権の借り増し要求に応じて、右債権の担保として取得したものであり、ただその名義人として自己が代表取締役をしている上告人会社を利用したに過ぎないと解すべきことは明らかである。

三 占有移転と担保権抹消

それは譲渡担保であることを裏付ける

1 本件物権変動が、以上の経過により生じた結果、上告人と権との間はもちろん、松田と権との間ですら、通常の売買に付随する諸条件については、契約書の作成はもとより何らかの合意も成立していなかつた。本来、原判決認定のように本件が辛から上告人への売買であるならば、契約時において、売買代金の額及び支払方法が特定されるとともに、建物の引渡、担保権の抹消の期限及び方法が約定されるはずである。

2 しかしながら、原判決も認めるように、権は、昭和四四年二月三日付で借地権(地上権)付建物を上告人に「売却」しながら、その際、借地権(地上権)の譲渡にともない家賃をいくらにするとか、何時明渡しをするとか、担保権をいつ抹消するとか、等々の条件を上告人との間で約定した事実は全くないばかりか、その後も何の履行もなさず、従前どおりパチンコ屋として利用し、地主に対し地代を支払つていたことは明らかである。

これは、何を示すのだろうか。これは、事実に謙虚な自然な解釈としては、本件物権変動が、通常の売買では全くなく、価値権を把握することを主目的とした担保権の行使、譲渡担保と解されるべきであつたことを示すのである。

3 なるほど、原判決がいうとおり、本件物権変動を通常の売買と同様に所有権の移転(したがつて、借地権の移転)と把握し、〈1〉売主辛が地主市川キヨに対し地代を支払つていたとしても「地代は辛又は権が負担する約定のもとに支払つていたことも考えられないわけではない」(同四〇丁裏)が、それは裁判官の通常の経験則に反した勝手な考えであるだけであり、〈2〉辛名義の地上権の登記が存在していても「対抗要件である移転登記手続が経由されていないからといつて地上権の譲渡がなかつたとはいえない」(同四一丁表)が、もちろん、譲渡があつたとの解釈にはなりえず、〈3〉「抵当権等の負担を附着させたまま不動産の所有権が移転することもありまないことではない」(同四一丁裏)が、通常の経験則からみれば普通はあまりないのであつて、そもそも、通常の売買と誤つて解釈した裁判官の一方的な前提にこそ誤りがあるのである。

本件物権変動が、通常の所有権の確定的移転をともなう売買ではなく、単なる価値権の把握を本質とする担保権の設定、すなわち譲渡担保契約であると解釈すれば、以上の各点は極めて自然な行為として合理的に説明しうるのであつて、この点からみても、本件は、松田個人への譲渡担保と解すべきであることは明白なのである。

原判決は、辛→上告人の売買という証拠上も実体上も根拠のない誤つた解釈を固定的な前提としたため、以上のとおり各点について、ことごとく経験則に反する弁解を重ねなければならなくなるのであり、そもそもの前提が誤つた解釈なのである。

四 売買代金はいくらか。

1 原判決は、辛から上告人への売買を認定した。それならば少なくとも、両当事者間で売買代金がいくらと合意され、どう履行されたのか認定しなければならない。それが最低限の義務であり、審理というものであろう。しかし、少なくとも、原判決は、その努力を全く放棄し、文字どおり審理不尽のままただ、推定価額の計算だけを進めている。

2 被上告人は、原一、二審において、一貫して、この売買代金の合意について具体的に主張せず、「原告は帳簿に受入れ記入せず、本件更正に係る調査の際にも取得原価の説明もせず、具体的資料の提出もしなかつたのでこれを明らかにすることが出来なかつた」(同六丁表)と主張するが、原告が真実原告の資金によつて一定の金額を提供し購入した場合には、原告の経理上、右資金捻出の工作が行なわれているはずであり、まさに、その点こそ審理されなければならない。一体、購入代金はいくらで、誰が誰に対し、どう支払つたと、原審は解釈しているのであろうか。

被上告人が、かりそめにも売買と主張する以上は、原告が、いつ、いくらの金員を、原告所有の資産から支出したかを調査し、その代金を特定したうえで主張すべきである。売買代金が特定されない売買などおよそ考えられないからである。そして、売買代金の額及びその履行も特定されず、また十分な審理もされないままで、売買がなされたとの原審の解釈は到底許されない。

3 然るに、被上告人は、その点の調査を怠り、代金額も厳密に検討しないまま売買があつたと主張し、原審も、全くの審理不尽のままこれを容認している。率直にいえば、被上告人自身、本件物権変動にともない代金の支払いがなされていないことを十分認識し、従つて調査しても仕方がないと評価していたのではないだろうか。被上告人自身、本件が実質的には、債権担保のための所有権移転に過ぎず、対価が支払われていないことを認識してしたのであり、原審もまた然りである。その結果、売買代金額もその履行についても審理を尽さず、架空の売買をでつち上げたに過ぎないのであり、全くの審査不尽、理由不備の判決といわざるをえない。不幸にも、被上告人と原審との共通した認識と推定は、極めて実態に合致しているのであり、そのまま素直に問題を立て債権回収を実現した松田個人に対する課税を基本にすればよかつたのである。

五 結論

以上、要するに、本件物件の変動は、どう考えても売買ではなく債権担保のための譲渡担保とみるべきであり、従つてその帰属主体は、上告人ではなく、債権を有していた松田個人としか解釈しえないのである。

そうであるならば、原一、二審判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則違反ないし採証法則の誤りに加え、審理不尽、理由不備の違法があることが明白であり、破棄を免れない。

第三 保証金の一割償却について

一 原判決理由

原判決は、上告人(原告)と昭和四六年株式会社交信社(以下、交信社という)株式会社岡崎製作所(以下、岡崎製作所という)ラブラブ間の賃貸借契約の各保証金一割は、返還を要しない金員であり、契約時に権利金債権の一種として確定するので、右一割相当額は本件事業年度の益金とすべきと判示した。そして、その理由としては、骨子次のとおり述べている。

「証人三上及び原告代表者は、期間満了又は目的物の滅失により契約が終了したときは償却できない趣旨の約定であると供述し。」(三二丁)「原告においては、保証金の一割相当額の償却は契約終了の際始めて償却分を雑収入として計上する取扱いをしていたことは認められるが。」(三四丁裏)、

しかし、〈1〉契約書の用語法は必ずしも正確でなく、〈2〉松田繁の証言によれば、同人は、貸主の危険を填補する趣旨で、一般に用いられている保証金償却に関する条項と同様に、常に一割相当を返還することを要しない旨規定したもので、原告においてもかように取り扱つてきたことが認められる。

二 原判決の問題点

1 言うまでもなく、市民間の契約は、両当事者の意思表示の合致によつて成立するものであり、その合致した内容は、偽造らの例外をのぞき契約書の内容により確定される。

そして、本件では、賃貸借契約書の成立に争いがないのであるから、保証金償却合意の有無は、この契約書の文言の合理的解釈によつて決するべきである。

契約書(乙第一ないし第三号証)によれば、第一六条三項は「契約解除の際は保証金のうち………円也を償却するものとする」としている。したがつて、右に言う「契約解除」とは、全ての契約終了原因を含むと解するか否かが核心的論点となるが、次に述べるとおり少なくとも期間満了による終了の際を含まないと解することが明白である。

2 分析するに、契約書には、終了原因として、〈1〉「満期解約」(一条)〈2〉期間内解約(二条〈3〉「契約違反による解除」(一一条)〈4〉「天災その他当事者の責によらない契約解除」(一五条)が挙げられている

これに対して、保証金返還に関する規定は、〈A〉第一六条三項「契約解除の際は……償却するものとする。」〈B〉一七条前段「乙が解約予告期間を経過し、………償却分を差し引いた残金を乙に返還するものとする。」〈C〉一七条後段「但し本契約第一五条二項による契約解除の場合の返済方法については甲乙協議の上定める」の三つである。

この〈1〉~〈4〉と〈A〉~〈C〉の両者を対照させれば、一七条前段の解約予告期間が問題となるのは、二条より「期間内解約」のときであるから、右終了原因のうち〈2〉と〈3〉のときに、償却できることはまちがいない。

つぎに、右終了原因のうち〈4〉については、一七条後段の協議事項に償却の有無まで入るか定かではなく、契約文言上のみでは一義的に決し難い。(実際上、上告人側は償却できないとの考えであつた。)

しかし、右終了原因〈1〉の場合まで一六条、一七条より償却できるとの結論は到底導けない。

まず、一七条の「解約予告期間」は、「満期解約」の際、適用の余地がないことは明白である。そして、一六条三項「契約解除の際」についてであるが、一三条において、「乙は…契約が終了又は解除された時は貸室を明渡さなければならない」とされ、一四条でも「賃貸借の終了または解除」とされており、契約書において、「契約解除」との文言は、「終了」とは区別され使われている。

この「終了」とは、「賃借期間の終了」と言う意味であるから、即ち、一条の「満期解約」のことを指すものである

したがつて、契約書一条の終了原因については、一六条の適用がないと考えるのが当然の解釈である。

原判決理由は、「その用語法は必ずしも正確でない」ということを認定理由としているが、一部の用語が法律家が見て正確でないから、契約書全体の合理的解釈ができないというのはまさに暴論である。右に述べてきたように、本契約書の構造と文言を分析すれば、「全ての終了原因について償却する」との解釈は到底できず、少なくとも、「満期解約」=期間満了による契約終了のときは、償却されず全額保証金返還する約定であつたと解釈しなければならない。

3 さらに付言すれば、右のように満期終了と他の場合を区別するのが当事者の利害関係からみて著しく不合理というのであれば、あるいは原判決の如く契約書文言を事実上無視することも許されることがあり得るかもしれない。

しかし、右のように解釈するのが取引社会の公平にも経験則にも合致するものである。けだし、途中解約や契約違反の解除の場合、貸主側は、本来の契約期間分の賃料を確保できない危険性が生ずるから、その填補として一〇%償却するが、他方、満期終了の場合は、契約期間分全体の賃料を確保できるのであるから、保証金は文字通り保証の機能を終えた時点で全額返還しても不利益とは言えないのである。そして、このような契約条件は取引社会に現に多々存在している。

4 つぎに、原判決理由が唯一積極的理由として挙げている松田繁証言についてであるが、これも、証拠の取捨選択を誤つている。

とくに、判決三三丁裏四~五行目「原告においてもかように取り扱つてきた」との認定に至つては、何らの証拠もない。

あえて付言すれば、松田繁証人が主観的にいかなる終了原因のときでも償却したいと思い償却できると考えていたとしても、契約は相手方との意思表示の合致で決まるものであり、このような合致の客観的事実は、一切証明されていないのである。

三 結論

原判決理由は、争いのない客観的事実、即ち、契約書の内容、並びに上告人が契約期間中保証金全額を「預り保証金」として計上していた事実に対し、唯一松田繁証言のうち同人の主観的認識の一部をとり出して本件認定をしたのである。

かかる事実認定は、重大なる経験則ないし採証法則の違反であり、本件保証金償却部分に関する原判決は、破棄を免れない。

以上

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